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福岡高等裁判所 昭和38年(ラ)172号 決定 1963年11月13日

理由

一  抗告の趣旨及び理由は別記のとおりである。

二  当裁判所の判断

(一)  一定の金額の支払いを目的とする請求につき作成された公正証書が、債務名義となり得るには、公正証書に一定の金額が明記しておるか、あるいは、公正証書の記載自体から一定の金額を算出でき得るものであることを必要とする(民訴第五五九条第三号)ところ、この見地よりすれば、本件公正証書条項の用語は非常に粗拙であつて、所論第一、五点に指摘するように、一定金額の明記なく、あるいは一定金額の算定不明であつて、債務名義たり得ないかのような外観を呈していることは否定できないけれども、一件記録と公正証書を対照して見れば、本件公正証書の内容は次のとおりである。

(二)  買主(抗告人林輝彦のこと。その連帯保証人は抗告人田中宗規である。)は売主(相手方)から、公正証書第一条記載の自動車を代金六二九、一三四円で買受け、即時金として金五万円の支払いを了し、残代金は第二条記載のとおり二二回にわたり月賦弁済をなすこと。買主は月賦金の支払いの担保として、月賦金額を手形金額、月賦金の弁済期を手形の満期とし、姪浜福博信用金庫を支払い場所とする二二通の約束手形を売主あてに振出し、かつ自動車の預り証と右各手形を売主に交付するのと引換えに、売主は自動車を買主に引渡し、その占有使用を許諾したが、残代金の支払いを終えるまでは、売主にその所有権を留保すること(第三、四条)。もつとも、売主は何時でも自動車の所有権を買主に移転し、移転と同時に残代金の支払いを担保するため、買主に対し自動車の上に売主を抵当権者とする第一順位の抵当権を設定しその登録手続をなすことを請求し得べく(第五条)、買主が月賦金の支払いを連帯した場合は、売主に対し日歩七銭の割合による遅延損害金を付加支払い(第六条)、また、売主は即時買主に対し未払い月賦金全額の支払いを請求し得る(第一六条)の外、本件契約を解除しすでに受領した前示即時金及び月賦金はこれを違約金として取得し、これを返還することを要しない(第一七条)ばかりでなく、解除により買主は自動車の占有使用の権原を失い、売主は買主に自動車の返還を請求しこれを引取つた上、他に処分しあるいは自己の選定した鑑定人に自動車の価格を評価させ、この売上金または評価額(執行文付与に対する異議の当否を判断する裁判においては、売上金、評価額が何程であるかを認定する必要はないが、抗告人らが相手方は執行債権額を明示して抗告人らの有体動産の差押えをなしたことの違法を主張するので、参考までに書けば(以下同様である)本件において相手方がこの評価額によつて算定したその額は金二三七、六四七円である)から、売主が自動車の引取り回収に要した費用(この費用は本来債務不履行の責任ある買主の負担たるべきものであるが、本件において売主はこの費用を計上しないで、費用はないものとしている。)を控除した残額が売主の実収入額となるので、自動車の未払い代金及び損害賠償金の合計額から右実収入額(前示のとおり本件においては前記評価額と実収入額とは同一金額である)を差引いた残額を即時買主に請求し得べく、この場合抗告人らは回収費用の計算及び鑑定人の評価額については(それが取引の通念に照らして合理的なものであるかぎり)、異議を申立て得ないことを規定し(第二〇条、なお同条の損害賠償金とは、第一七条の違約金を指すものではなく、第六条の遅延損害金を指すと解するのが相当である。違約金は損害賠償の予定と推定されるけれども、若し第二〇条の損害賠償金が第一七条の違約金を指すものとすれば、第二〇条の規定によつて、買主は売主に対し未払い金と既払い金の合計額(すなわち自動車の販売代金額に当る)から前示実収入額を控除した残額を支払う義務があることとなり、著しく売主に有利に、著しく買主に不利となり、通常当事者はかかる片面的不合理な暴利契約を真面目に締結するものとは考えられないからである。)、抗告人田中宗規は抗告人林輝彦の債務について相手方に対し連帯保証をなし(第二二条)、また本件公正証書には執行認諾約款が存すること。

以上の内容を有する公正証書であることが認められる。

(三)  ところで前記(一)冒頭に説示するとおり、金銭の支払いを目的とする請求につき作成された公正証書が債務名義たり得るには、少くとも公正証書の記載自体から一定の金額を算出できるものであることを要し、公正証書以外の資料によつて補充しなければ一定金額を算出し得ない場合は、その公正証書は債務名義たる適性を有しないのはもとより当然であるけれども、公正証書も当事者の契約内容を表示するものである以上、公正証書に表示されている契約当事者の真意を合理的に探究し、民訴第五五九条第三号の規定に反しない範囲において、できるかぎり債務名義として適法有効なものと解釈すべきであり、かつ解釈に当つては公正証書の各条項を各別に捕えて解釈せず、前後の条項を相関脈絡ある統一体としてその本体に迫つて理解しなければならない。

本件公正証書から第二〇条のみを抽出しこれを個別的に解釈すれば、本契約が解除された場合、買主は売主に対して、(イ)自動車の回収費用(ロ)自動車の未払代金(ハ)損害賠償金、以上(イ)(ロ)(ハ)の合計金額から(ニ)回収した自動車の売上金額(または評価額)を控除した残額の支払いを請求し得べく、この残額が債務名義の一定の金額に当るということになるのである。抗告人らの所論はこの前提に立つてかくては(イ)の回収費用(ニ)の売上金額(評価額)は公正証書自体からは算定できないので、すでにこの点において本件公正証書は債務名義たり得ないばかりでなく、契約の解除の意味を原決定のように解し、自動車の売買契約は存続するものとし、その売買代金残額が債務名義の請求額になると解釈するのは、不当であるとするのであるが、論旨はつぎの(四)に説示することによつて明らかなように、その前提において誤つているので採り難い。

(四)  第二〇条が本件契約の解除された場合における売主の請求金額に関して規定しているので、解除が本件契約に及ぼす効果について先ず一言すれば、債務不履行に基づく解除により、(1)契約はそ及的に消滅し契約が締結されなかつた以前の状態に復帰するので、契約上の債務関係は消滅して、これに基づく権利義務はその存在を失うけれども、債務者が債務を履行したならば、解除権を行使した債権者が被らなかつた筈の損害(いわゆる消極的利益の損害)を債務不履行の債務者に負担させる場合((イ)大審院大正六年一〇月二七日民録二三集一八六七頁、(ロ)同昭和八年六月一三日民集一二巻一四三七頁等参照)と、(2)契約の存立は依然これを維持し、ただ債務者に対する契約の本旨に従う履行請求権を変じて、もつて金銭的賠償権を行使しうる場合(上記(ロ)の判例、大審院昭和八年二月二四日民集一二巻二五一頁等参照)とがある。第一七条、第一八条第二〇条にいう解除は、右(2)の意味における解除を示することは、右各条項の統一的解釈上明らかである。従つて買主において約定にかかる月賦金の支払いを怠つたため、売主が第一六条に基づいて本件契約を解除した場合、売主は契約本来の売買代金債権に代わる、これと同一の即時給付を求めうる(第一六条)金銭的賠償債権を取得するにいたるのであつて、第一七条、第二〇条はこの債権額の算定方法を定めたものと解すべきである。すなわち、契約を解除した場合、売買代金六二九、一三四円の一部弁済として買主が売主に交付した既払い金(即時金と支払い済みの月賦金)は、解除にかかわらず、違約金として依然売主が取得して買主に返還せず(第一七条)、その残額に当たる賠償債権額は、解除当時の未払い代金額及びこれに対する第六条所定の日歩七銭の割合による遅延損害金の合計額となるのである。しかして一定の遅延損害金の特約ある一定金額の消費貸借契約の公正証書が作成された場合、この元利金に対し一部の内入れ弁済があつたとき、残存元利金につきこの公正証書が執行証書たり得ることは容疑の余地がないのと等しく、右解除当時の未払い代金額及びこれに対する日歩七銭の割合による遅延損害金の合計額について本件公正証書が執行証書たり得ることを否定しうべきではない。本件においてはこの合計額に対して、その内入れ弁済と解すべき前示のいわゆる実収入額を控除した残存債権額をもつて、執行債権額と定めているのである(第二〇条)から、弁済などによつて一定の執行債権額が一部消滅した場合、その弁済などの額が公正証書の記載自体から算出できなくても、同公正証書が債務名義たり得る以上、本件公正証書が一定金額の支払いを目的とする請求につき作成された公正証書というに何らの妨げもない。抗告人らが異議の申立書において援用する東京高裁昭和三六年五月九日決定は事案を異にし、本件に適切でない。ところで自動車は解除の有無にかかわらず売主において所有権を留保するので、売主が自己所有の自動車を他に処分して得た売上金額(または評価額)を自己の買主に対する債権額の内入れ弁済にあてる結果となる算定方法をとるのは、契約はこれを存立させて遅延損害金を含む売買代金相当額を賠償債権額として買主に請求し得るものとする以上自動車を買主の所有であるものとして計算するのが相当だからであり、あたかも買主をして自動車を代物弁済に供させたかのように、これを買主から引上げて処分ないし評価し、その処分ないし評価額より回収費用を差引いた実収入額において、一部弁済あるものとみなし、賠償額の減額を生ずるとする算定方法である。しかも、本件公正証書表示の右残額債権額は同証書作成当時において現存確定せる売買代金債権と表裏一体をなし、これと密接不可分の関係にあり、しかも公正証書作成当時には現存しないが、買主の債務不履行という事実の発生によつてなさるべき契約の解除によつて生ずる賠償請求権であつて、売買代金債権の転化したものでありかつこれとその額を等しくするものである。しかして、かかる債権は将来の債権とはいつても、公正証書作成当時停止条件付には存在する債権であり、一定金額の停止条件付債権の支払いを目的とする請求につき作成された公正証書執行証書たり得ることは明らかであるから、前示本件債権は債務名義の執行債権たり得るものと解するのが相当である。(同旨昭和三五年六月二四日、同年一二月一月一四日各当裁判所決定。なお、昭和六年一二月四日司法省民事局長回答参照。)

(五)  論旨は第二点において、本件契約は公序良俗に反するかのように主張するけれども、前に説示するとおり、本件公正証書表示の契約はなんら公序良俗に反するものではない。のみならず、公正証書表示の契約がかりに所論のような事由により公序良俗に反して無効であるとしても、右のごとき実体上の理由によつて公正証書の執行力を争うには請求異議の訴において主張すべきであり、執行文付与の形式的前提要件の欠缺のみを理由として執行の不許を求める執行文付与に対する異議申立ての理由として主張し得べきかぎりでない。

(六)  以上の説示に反する論旨は採用しない。

原決定は当裁判所の見解と趣きを異にする点があるけれども、本件公正証書が債務名義たり得るとし、抗告人らの異議を排斥した点においては、当裁判所と帰結を同じくし、相当であるから、抗告を理由なしと認め、主文のとおり決定する。

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